だいぶ前のよしもとばななさんの日記の言葉にぶんぶんとうなずいてしまう。まさにあたしがこのごろそう思っていたことが書いてあった。人との縁に関する部分でさらに大きくうなずく。同じようなことが何度かあったので。そしてあたしもばななさんと同じようにしようと思っていたので。ばななさんは義務教育で学べる単語だけを使って考え抜かれた思いを形にする天才だとまた思う。2004年の5月20日の日記。『さようなら、ラブ子』に入ってます。
巻末のばななさんのお友達のちほちゃんの言葉はあたしがここ2年そうあろうと思っていたことの全部が書いてあった。この言葉がこの先あたしと家族にもっと必要な日がくるかもしれないと思ってノートに書き写す。頭の中に言葉になる前の状態で浮かんでいるゼリー状のもの(あたしの頭はこれでいっぱい)を言葉に落とし込むことでくっきりすることがある。ちほちゃんの言葉を書き写しているとゼリーがすごい勢いで集まりひとつになって濃い色の固いかたまりになった。
きっとこれが必要になる日がくる。おぼえておこう。
15年も作品を読んでいるのに気づかなかった。日記を読んでいるとあたしがばななさんの小説にいかに影響を受けてきたかにおどろいてしまう。この時代にばななさんがいてよかったなぁと思う。彼女があらゆるものとたたかいながら作品を生み出している日々に尊敬をおぼえる。体への意識が高いところには共感。あたしは小説は一生書けないと思うけれど、物語が作りたい。この大量のゼリーを形にしたい。写真がある。がんばろう。
他の写真を撮るひとがどうかはわからないけれど、あたしはシャッターを押すときに全身の細胞みたいなのがひとつのところに集まるかんじがする。ほんとうにいいものが撮れるときにはイタコのひとみたいに(イタコのひとには会ったことないからわからないけど、たぶん)何か独特の力の使い方をする。がーーーーとすべてを収縮して濃く使う気がする。だから撮影のあとはほんとうにどうしようもなくぐったりするし、一言も話せなかったりする。言葉が通じるひとがすごーく限られてしまう。椎名林檎の眩暈を10回連続で聞いて泣いてしまったりする。こういう時に会っているひとはあたしをきっとアップダウンがものすごく激しい変わり者だと思うのだろうなぁ。でもいいのだ。だって、変わり者なので☆うふふ。
今月は1000本ノックのように日々是撮影なのでチャージが自転車操業状態。お菓子・俳優さん・アイドル・ミュージシャン・女子大生。1シャッター入魂。そしてシャッターを切った分だけチャージチャージチャージ。物語を作る体に戻すためのチャージ。あたしのチャージ源は愛、自然、宇宙、暮らし。あ、後ろの3つがけっこうぜんぜん足りてない。要急速チャージだわ。これから明日のはーぴーの誕生日のためにチーズケーキを焼くのだ。パパにどっさりもらったプルーンを赤ワインで煮たやつを入れて。サングリアも作ろっと。そして明日は洗濯を猛烈にして部屋をわっかのやつで飾り付けて料理をこれでもかというくらい作るのだ。