なんだかあわただしくたのしい日々。たくさん写真を撮り、たくさんだいすきなひとびとのライブを観て、遅くまでお酒を飲んで話す日々。昨日のことが4日くらい前に思えたりする。時間が伸び縮みしている。表現すること、について考えつづける。ひとりの人間の中に紡ぎ出される、そのひとにしか見えない世界を、そのひとにしかできないやり方で、大事な角(かど)を削られないまま表す、ということが、どれだけのエネルギーがいることか、を。そしてきっと、覚悟を。
スケジュールをみると7月は月末までいっぱいだった。あー。かるくめまいがする。iPhoneのスケジュール機能を使い始めてからというもの、予定が赤でブロックで表示されるので、いけないんだわ。赤ってすごい色。アドレナリンがついでてしまう。ただでさえ、アドレナリン体質なのに。いかんいかん。真っ赤なスクエアが迫り来るスケジュールをみていると息苦しくなるから、手帳にえんぴつで書き写してみた。赤にやられず、冷静に、みてみるために。なんだ、毎日たくさんのことがあるけれど、ぜんぶたのしみなことばかりじゃないかー。いろいろなジャンルの魅力的なひとびとに会う予定、たくさんの写真の予定、北海道と京都にだいすきなひとを撮りに行く予定、そしてそして、フジロックフェスティバル09!!! いえーい!!! もう去年から1年たったのかぁと巨大なカリマーのバックパックの場所をクローゼットで確認しながら思う。はーぴーが「ナカマサがフジまだかねぇって言わないフジは初めてじゃないか」と言う。ほんとだ、たしかに! 毎年指折り数えてその度に口にだしていたのに。今年はなんだか、現実の時間にまだ脳内時間がついていけてない。
もう、夏だなんて。
先週読み返した茂木健一郎さんの本と須藤元気さんの本。そこに共通して書いてあった内容は「現実だと思っている世界はすべて脳が作り出したもの」ということ。茂木さんはそれを仮想と呼び、須藤さんはホログラムだと言う。そのことばかり考えていた、先週。そして昨日はーぴーが作った新聞スクラップおみくじを引いて出た記事は佐治晴夫さんという方のもので、そこには「世界を知覚する脳がなければ、極論を言ってしまえば世界は存在しない」といった主旨のことが書いてあった。
なんだろう、この、たたみかけるかんじ。
クラヤミ食堂に行く。宇宙旅行をテーマにしたフルコース。完全に視覚をうばわれた中で味わう食事。でもまぶたの裏には光の記憶がきらきらする。それが、「見る」ことができないことをより自覚させる。いつもよりも数倍するどく感じる味覚。味覚がするどくなっているというよりは、脳が味覚をより、シリアスに受け止めてその情報をしっかりと分析しようとしているのでは、と思った。いつもなら、あ、それ、にんじんね、知ってる知ってる。って簡単にわかったつもりでいる。でもその、視覚の情報が奪われているから、この上もなく真剣に味覚に頼る。にんじんが生きている味がする。生き物を咀嚼して飲み下す。そんな感触。これくらいの真剣さで視覚も味覚も嗅覚も触覚も聴覚も、いつも使うことができたなら、ほんとうにすばらしい、と思った。食べるものを見るものを聴くものを匂うものを、となりにいて触れるひとを。全身で知覚して記憶に刻みこむ。世界は脳が作る仮想なら、できるだけ美しく繊細な仮想であってほしい。目を閉じてすべてが終わるときに、まぶたの裏にきらきらに、輝くであろう、仮想。