ちかごろ改めてどうしようもなく感じるのは、大きな何かの存在。目の前に次々と出現するわかれ道、大きなものも、小さなものも、あたしは常に自分でうんうん考えて、感覚研ぎすまして、自分自身で選択しているつもり。でも、もしかすると、大きな何か/誰かが書いた脚本通りに踊っているだけなのではないか、というきもちになる。もし、そうだとしたらそれでいい、って思う。
それを神さまの意思というひともいるだろうし、運命と呼ぶひともいるのかもしれない。あたしはそれに名前をつけていないけど、とにかく、「おおきななにか」だと思っている。
「おおきななにか」が脚本家としてそれぞれの人間の人生、それぞれの人生が交わるさま、そしてもっと大きな、地球全体、宇宙全部の行き先までも書いている分厚い本があるのかもしれない。皮の表紙の、とてつもなく分厚い本。あたしたちはそのページの上で飛んだり跳ねたり悩んだり遊んだりしているだけのかもしれない。
今まで大きな局面では理屈じゃなく背中を押されて無我夢中で動いたことがあった。今もそう。何か/誰かに確実に背中を押されている。そしてきづくと思ってもいなかったところに、いる。いつも思う。去年のあたしが今のあたしを見たらすごーく驚くだろうな、って。そういうの、すごく、わるくない。
きっとその本の中にはあたしがこうやってじたばたと考えてくるくる動き回って、そして決意する、そんな様子まで書いてあるのかもしれない。あたしがまわりの大事なひとたちの人生に関わる姿も書いてあるのかもしれないな。おせっかいでこわがりでよくもわるくもセンシティブで、やたらみんなの無事を祈りすぎる心配性なあたしのことが。それが彼(彼女かもしれないけど)の書いたあたしという人間の役割なのかな、と思うことすら、ある。そういう役のためにキャスティングされたのかも。
いつか彼(彼女)に会うことがあったら聞いてみたいと思ってる。あなたの書いた本、なかなかエキサイティングだった。あたし、全力でまっとうしようと毎日かなり精一杯やってた。手は抜かなかったよ。特に後半、どんどん加速しておもしろくなってきてた。ねぇ、上から見てて、どう思ってた?あれって途中で書き足してたの?それとも、ぜんぶ、決まってたの?