ともだちにずっと借りていたカーディガンをとうとう返しました。郵便で手紙とおいしいものを少しつけて。返そう返そうと思いながら、タイミングを逃し続けてた。去年の3/11に借りたもの。薄着でぷらっと出てきたあたしに、その夜遅くまで一緒にいてくれたちか姉が貸してくれたもの。ずっと長く借りててごめんね、って書いたあと、ほんとうに長く借りてたことに気づいた。
あれから、11ヶ月も経ったんだ。もうすぐ、春がくる。

『新世界』を完成させるプロセスはあまりに物事がぴたっとはまってスムーズだったので、産みの苦しみ、みたいなものはないかんじがしていた。でも、あれはやっぱり、ちょっと異常な期間だったな、と、今になって、思う。時間が何倍にも凝縮されていた。歓喜と興奮のあいだにアドレナリンが出まくっていたけれど、からだとこころはやっぱり休息を求めていた。ぜんぶ、出し切ってたから。
作品を作るというのはひとによってプロセスや感じ方が様々だと思うけれど、あたしにとってのそのイメージは、石油。こどもの頃に石油のできるしくみ、のようなものを図解で見て、ものすごく衝撃を受けたのを覚えている。(ものすごくざっくりとした記憶だし、もし違ったらこっそり指摘してね)それは地球を断面にした一枚の図で、地表には落ち葉や野菜や動物の死体が落ちていて、それがじわじわと地中に染み込み、地層をいくつも経て、下の方の地層でやがて、とろりとした黄金色の(そう、黄金色なの、とてもおいしそうなはちみつ色の。)石油になる、というもの。こどもだったあたしはその途方もなく長いプロセスに驚き、ゴールドの石油のイメージにうっとりしたものでした。
今回の作品はその石油だったな、って思う。すでにそれが何で構成されてるのかなど、完全にわからないくらいにとろとろになった、石油。
それはまた、出産にも似ていたと思う。十月十日おなかに育ったものが、ある日あらがえないほどの勢いで外の世界に出て行った、そんな、流れにも。
だから、ひたすら、休んだ。無理にそこに何かを詰め込もうとするなんて愚の骨頂だと、思った。ただただ、野生動物のように、休んで休んで休みました。光が自然と差してくるまで。
カメラも持たないで、ただ、目を、閉じて。それは、出産後初めて、自主的に休んだ貴重な時間だった。仕事を休む、ということではなくて、活発な活動をしない、ということ。
からだもこころも。「冬」をちゃんと過ごそうと、思った。芽吹くまでの間の大事な「待つ」季節。
だいたいあたしは「夏」が多すぎる。
静かに暮らした。数日だけれど、その静けさは新鮮すぎるほど。情報も入れず、人にも会わず、ただ、ひたすら静かに。自分のからだのぶつぶつつぶやくちいさなちいさな声が聞こえるまで。深い湖の底にごぼごぼと沈み、ひとりひっそりと座るようなきもちで。ごぼごぼ。
そしてしばらくしたある日、目がカールツァイスになっているのを感じた。目が、風景を、カメラの貪欲さで切り取り始めていた。フォーカスを合わせ、明るさを調整している。考える、ぜんぜん、その前に。そこは偶然だらけの毎日、ばったりだらけの毎日、光が確かに強く差し、喜びが喜びを増幅させる世界。帰ってきた。
おかえり、あたし。おかえり、あたしの目。
新世界、ほんとうにグランドオープン。始まったよ。そこは『新世界』後の空白の時間をふわふわした腐葉土のようにして敷き詰め、始まった、白い地平の世界。
人生はほんとうに何度でも、あたらしく、始まるのね。
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郵便局を出て、冷たい風が耳を容赦なくちぎろうとする。痛いよ。あげないわよ、耳。
冬は4番目にすきな季節。でも、いつも特別な季節を待つ大事な時間。
春が、くる。
みんな、いつもありがとう。ただいま!!