寒い冬、到来。
斜めの光のもとではもう、夏のことがうまく、思い出せない。
何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて、と小田和正さんと声を合わせたいくらいに、何から書いたらいいのか、ちっとも、わかりません。(まったく小田さんはあの天使の美声と超絶に辛口な変人キャラとのギャップがたまりませんね。知らない方は映像とかでさがしてみてください。驚愕です。)わたしのあたまにUSBをつないで、早回しの断続的な映像でみてほしい。
FBやらで日々うまれるなにものかをぷはっぷはっと出しているうちに、ブログにまで手がまわらず。SNS以前の世界では毎晩ブログ更新していたわたしが。(そういうひと多いですよね。毎晩じゃないにせよっ!)つぶやく行為が呼吸のようなものだとすると、胸にたまった、その、量を吐いてしまうと、もう、吐き出すべき二酸化炭素など肺にはもう、ないわけです。この全く更新のない場にアクセスしてくださってる方のカウンターを見ると非常にありがたく申しわけないきもちです。
写真と言葉のみのサイトなどどうか、と進言してくださる方が何名もいらっしゃって(じつに、ありがたいことです!!)調子にのって、それ、いいかも。なんて思っています。
新年にはちょっと、あたらしいやり方考えます!!
新年、いい響き。うっとり。
創作やらに使うエネルギーはつねづね、石油のようなものだと感じるのです。さまざまな生物体の死骸が地底にたまり、やがて、とろりとした黄金色の油となる。それにはそれ相応の時間と死骸が必要とされ、正しいプロセスを経て、ゆっくりゆっくりと溜まっていくのではと想像します。知識ないのであくまでおおざっぱな想像。
早春から始まったIMMIGRANTSのプロジェクト。撮影、インタビュー、編集作業、の繰り返し。強く生きるひとびとに会いにいくことはそれ自体大きなエネルギーを必要とします。数年分の石油を数ヶ月できっちり使い切ったような感覚でした。採掘しすぎで、もう地盤沈下おこしそうだった、いや、もう立派におこしていた、わたしのひよわな大地。自転車操業では石油など生まれず、ガソリンスタンドに買いにいってました。すみません、合成ものでいいんで10リットルください。ごくごく。(まちがって飲む)
10月に展示が終わったころには今思えばほんとうにすっかすかで、ひとつのことをやりとげたという達成感とともに、もう、ふらっふらになっていました。ベトナムにひとりで行きたい、なんて、つい、つぶやくほどに。なんでベトナムだったんだろう。ベトナムって脳に明朝で書かれたのだ。一度ぜんぶリセットしないとあたらしいエネルギーが湧いてこない、それだけはわかっていました。ちがう、と強くわかっていることもやめる力がなく、流れのままにただただ、放っておいたり。
違和感は警鐘。知ってる。天使が全力で鳴らしてくれているワーニング。知ってる。それなのにちょっとめんどくさくってそれを無視し続けた結果、天使はあっそじゃあいいよもう教えてあげないから。ってかんじで鐘を叩くのをやめたみたいでした。たぶん、1週間くらいのあいだ。わたしの魔力もこれまでか、とあきらめるほどに。直感も予感もぴたっと鳴りをひそめて。
ある日、それは完全に戻ってきました
ちがう、と強く思っていたことを、はっきりとやめた瞬間に。
シンクロニシティと気づきとひきよせにあふれる日々。次々と出会う妖精のようなひとびと。ただ、光があふれるほうを自然に選べば、そこに何かがある。てのひらに載せてながめていると、それがすべての答えだったことに気づく。
そんな毎日が!!!
やったーーーーーーーーーーーーーーー。
あーーーーーーーーーーーーーーーーー。
世界はひかりにあふれ、奇跡と思えることが日常にある。
本来、にんげんは、とくに、日本人は、そういった力に満ち満ち溢れていたと思うのです。ご縁とか天の罰とか、おてんとさまとか、そこらじゅうにいる神様とか。そんなふしぎとあたりまえのように暮らしていたご先祖さま。わたしも彼らに及ぶかわからないけど、今は絶好調に魔力満載です。
でも、あの、超能力ゼロの空白の日々もそれはそれでよかったなぁと思っています。
自分でもあきれるほどの記憶失いすぎなわたしは、まるではじめての経験のようなきもちだったけれど、わたし、今までも大きなプロジェクトのあとは毎回そうなってるみたいです。(トシオ談)
こりないな。でも、だから、人生はおもしろい。(まったくこりてない)
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旅は、つづくのだ。
にもつは軽く、思い出もためこまず。