実家の庭に咲くピンク色の二種類の花を毎日眺めている。ぼっこりした椿のような花と桜のような小さな花。対照的な思春期の女子みたいな二本の樹。窓の外で雨に濡れ風に揺れる。ずっと見ている。ぜんぜん飽きない。
パパに名前を訊いてみた。海棠だよ、と即答。となりのむっちりした花は乙女椿だ、と。初めて聞く名前。海棠は中国から来た花だ、と。そんなことを花なんてタイプじゃないパパが当然のように知っていることにも、おどろく。
この家をパパが建ててから23年。庭に咲く花になんか一度も、ちーーっとも、興味を持たなかった。あたしは夢中になってやってきたことと、置いてきぼりにしてきたことの差がものすごい。それにうすうすきづいては、いた。ずっと遠い遠い場所に刺激を求めて旅をしてきたような気がする。深い夜から、強い光、文字通り地球の裏側のリズムの中にまで。でも、今は、半径3mの中に強い驚きがある。散る花びら、毎日毎日繰り返す暮らしのルーティン。単調に見える日々の営みが黙々とつながっていくゆるぎない、強さ。そんなことに、いちいちおどろく。そして、なんだか、それをうれしく思う。レンズ前のフィルターを変えたみたいにちがう色に見える、世界。
これが、やっと、やっとたどりついたあたしの振り出しなのかもしれない。これから少しずつ取り戻していこっと。たとえば、庭の花々と木々の名前を全部言える、というようなあたりまえの、ことを。