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ナカマサニッキ
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フォトグラファー中川正子のニッキです。写真のこと。毎日のこと。これ↑は6才のわたし。
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2012年 07月 02日
認め、ゆるし、感謝すること。
ふと、考えたこと。
FBのほうに書いたのだけれど、こちらにもと思って少し追加して書いてみます。

*

先日、ある若いひとに「昨日の報道ステーション見た?」と聞いたら、「テレビ見ないんで」って答え。その答えに少し、得意の様子を見たのは気のせいかな。でも、そんなふうに思うっていうのは、きっと、彼の調子にわたし自身の過去が透けてみえてたからかもしれないと思った。気になることというのは、たいていそう。目の前のひとではなく、じぶんの何か、過去や現在、が気になっているということ。

わたしもずっと長い間テレビは見ないで過ごしていたし、実家でテレビが頻繁にオンな暮らしの中で、ノイジーでくだらない番組を散見するとやれやれって思う。わたしの親しい友人の多くはテレビなしの暮らしをしている。だから、テレビ番組ってたいていはくだらないし時間泥棒だよねって意見にはおおいに賛成。

あたしは、去年の3月から1年3ヶ月も経って、世界はすっかり変わってるはずだって思い込んでいた。同じような考えのともだちに囲まれて、似たライフスタイルの人とばかり接して暮らし、あたらしい世界を実感しているきもちだった。

でも、大飯原発が再稼働されて、自分がいかに小さい世界の中にいたかって思い知らされた。正直言って、すごく、驚いた。twitterやFBの世界では、そして官邸前の20万人とも言われるひとびとの渦の中では世の中の大多数だ、くらいに思っていた考え方や感じ方は、日本全体でみるとまだまだ全くの少数派だったってことに。
ちょっと違うけど、井の中の蛙。状況として。

そんな時に聞いた「テレビ見ないんで」という言葉。もちろん、その選択自体が問題なのではない。でも、テレビを手放す、だけでもし止まっているのだとしたら、それはぐるりと一周して、テレビだけを信じているひとと構造的には一緒なのでは、って気が強くしたのです。

では、テレビを見ない代わりに何から情報を得ているのか。考えることをやめていないか。何を、しているか。自分の能動的な生き方の選択のひとつとしての「テレビを手放す」なのか。

何かをただばっさりと否定するのは簡単。否定した先を知りたい。スタイルとしての浅はかな否定は思考停止と紙一重。おおきな巡りを断ち切ってしまうと思う。わたしは自分がここちよいように生きていくつもりだけれど、それは自分と違う誰か/何かを簡単に全否定することとはまったく違う。それは多くを見逃すことになると今は、思っています。いろんな分野について。

*

すでにこれはテレビの所有の話ではなく、ほかのすべてのチョイスに関して感じていること。

大飯原発の再稼働のニュースの直後、「再稼働あたりまえだよねぇ電気なくなったら困るもんねぇ原発反対なんてばかだよねぇ」という話をしている人が隣にいて殴りたくなった、という知人の話を聞いてとてもおどろきました。殴って、どうするんだろう。

自分とちがう考えのひとを否定して殴っても、殴らなくても、すくなくとも殴ろうというきもちを持っただけでも、それは空気を不穏に揺らし、いつか大きな邪悪なかたまりになって戻ってくるとわたしはちかごろ確信しています。そのひとたちを否定しても何も始まらない。そこにいたひとはあるいはかつての自分の姿なのかもしれない。そのひとの存在が長い長い虹の輪の中できっと自分にもつながっているはず。思わぬかたちで。

たとえば、大飯の前で反対を表明したひとたちが機動隊の若者の胸に花をさしたように何かをそっと手渡せたらと思う。伝えたいことはいっぱいある。そんなときこそ怒りのかわりに、愛を。それが大きな変化への遠回りなようで実は最速な道なんじゃないかと。

*

あらゆるものがつながりあって生きている中、有機物も無機物すらもすべて響き合って暮らしているとつくづく実感する。それぞれの存在を認め、ゆるし、感謝するところからすべては始まる気がしています。すべては自分。そこにもあそこにもじぶんじぶんじぶん。ほんとうにそうじゃない?


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月がみんなを明るく等しく照らすうつくしい夜に。
トム・ヨークを裏声でマネしつつ、口をあけてねむっている息子をながめながら。

賛否いろいろあると思うけれど。長々読んでくれてありがとう!!ラブ!!!
by nakamasa1107 | 2012-07-02 23:37 | 日々のこと

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