昨日(そうか、まだ、昨日なのか!)もやもやをふきとばすようにあほみたいに拭き掃除をしてから36時間くらい。台風一過のごとくわたしは世界が広くクリアに見渡せるようなきもち。世界中をずっと旅してきたひとと今日話した。長く旅したひとの多くから聞く言葉ではあったけど、改めてそうか、と思った。住む場所でなくって、答えはぜんぶ自分の中にある。ちょっと表現は違うけど、そんなことをおだやかに透明な目で語る彼に、なんだか泣きそうになってしまった。ほんとうに、そう。
まさこちゃんは未来のビジョンはある?と唐突に聞かれて、まったくないなぁと思った。そりゃそうだ。ビジョンを持つつもりがそもそもないから、あるわけない。いつも絵が降りてくるのをぽやんと待っていて、必要なときにしゃきーーーんと降りてくる日々。だけど、たまにはやり方を変えてみるのもおもしろいと思った。じっけんじっけん。なにが起こるだろうか。
絵を描いてみて、そこから何かが動くか、やってみる。もちろん、わたしのことだから、絵は何枚も同時に、思いつきで描くわけだけれど。
家に帰って、絵が致命的に下手なわたしだけれど、実際に絵をたくさん、手を動かしてみて、描いてみた。どんどんどんどん、描いた。あたまの中がごごごごごごうと動き出すのを感じて、興奮して震えてきた。ぶるぶるぶるぶる。武者震い。
可能性はあたまが限らない限り、無数にあって、じぶんの性質と風の向きと、相性のいいものをどんどん選んでいけばいい。家族のしあわせは何があっても、ゆずらない。家族がしあわせでいるために、自分も自由でいること。自由であることは勇気がいる。勇敢な自由。自由は手にしても親としての責任はきっちり、ある年齢まで(何才だろ)果たすこと。目の前を無心で直感でごりごりと掘っていくこと。素手で。爪に泥がぎっちり入っちゃうくらに。ブラジルに届くまで掘れ。ディグディグディグ。
そしてたまに、大きな紙に描いた絵を見直すこと。なんだか違うなと思ったら、そんなもの、びりびりと破っちゃえばいいのだ。それで、また描けばいい。