時差ぼけもパリシックも治りません。
もうくらくらっす。
手に入れようとしても届かないものに猛烈に焦がれるきもちが恋だとしたらあたしはいつもやたらめったら恋ばかりしている。ほとんど病気のようでこまったコトです。不治の。ちっとも寝てない今だとなおさら。ああパリ、あたいあんたに会いたいよぉ!!!
こんな情緒が不安定なときにあたしの安定剤突飛王は九州なんかにいってしまうし。
日々いってきまーすばかり言っているから逆になるとどうしていいかわからないよぉ!!!
あああはやくかえってきてくださーーーーーい(←ハスキーに叫びぎみで)
今日
宮沢和史さんの新しい詩集をいただいて読みました。
宮沢さんは遠くの何かではなくて自分の言葉で隠さずに自分の赤い内側を見せていてそのあまりにも個人的で鮮烈な色に二度と会えない人とか景色とかいろんなことを次々に思いだしました。失うくらいなら出会わないほうがましだと思ってしまうぐしゃぐしゃにかなしいキモチとかこんなにたくさんのヒトビトがいる中でぴったり目が合っちゃった奇跡とか。
きっと人生はそういう細くてキラキラした絹糸みたいなものでつながっているとおもう。
もう細くて細くてドキドキしちゃうけどすごく強くてキレイな。
(ああもう今ロマンティックとセンチメンタル気分が全開すぎて止まらなくてこんなこと書いてるだけでおおいに泣けてくるっす。こんな夜中にひとりで。あぶなすぎるぜマサコ!)
宮沢さんの詩がもっと読みたくて一年前に写真も撮らせていただいたアルバム『百景』の歌詞カードを詩集のように読んでみました。歌として聞いていたときにはなめらかなメロディのひとつとして聞いていた言葉が今はぐさぐさと刺さるように入ってきて苦しいきもちが喉元まであがってきて今日はそんなときだいじょうぶだよって言ってアタマをなでてくれる突飛王がいないから(ほんとこんな夜に限ってなんでだよぉ!!!)アタマをかかえて座ってだいじょうぶになるまでしばし待ってみた。
(今もし開けっ放しの窓の外に最近世田谷に多発とのウワサのノゾキのおじさんとかがいたらあたしのこのあまりのヤバさにむしろ逆に逃げ出すはずよ!やったね!)
この苦しいっていうのは苦痛ということではなくてヨロコビとセットに出されてしまうおそろしさに対するヨロメキみたいなもの。たぶん幸福を持つということは同じだけの量の恐怖も持ってしまうことなんだとおもう。苦しいのも痛いのもほんとイヤで大大大大大大(以下永遠に続く)キライなんだけどヨロコビはあきらめられないのでセットなら致し方ない、受け取ることにしています。ほんとイヤなんだけどさ!!!
あああセールでまた水色の服と光るモノとタンクトップばっかり買ってしまいました。
この分野ではナカガワ10年以上進歩一切なし!イエス!
外が明るい。今ごろパリも夜だわ。
おやすみなさーい。