十朱幸代さんの名演技が忘れられないのです。
石原プロの倉本聰ドラマでかつて愛した渡哲也演じる男の人に25年ぶりに再会。もう別々の道を歩いている二人だけれど気持ちが押さえきれず駆け寄る幸代。息を切らして駆けつけ目を潤ませ『長いこと、どした』(元芸妓役)といって距離を置いたまま見つめる。あの目の多弁さがあればもう言葉はいらないどす(京女)。間違っても哲也を押し倒さんばかりの強烈なハグをしたり25年の間に積もり積もった気持ちをぎゃあぎゃあと語って聞かせたりしない。あんなにも押さえた、だからこそ艶やかなたたずまい。コムスメたちにはとうていマネのできない最高級の演技です。あんなええ女になりたいものです。ええ。
しかしゆりかもめはいい乗り物ですね。あんなに近くに見える観覧車になかなかちかづいてくれない。さっさとまっすぐ向かってちょうだい。あたまくる。あたまにくるのにも飽きやがてあきらめてお台場の景色が海に浮かぶ様子で軽い夢想状態に入り。そしてサマザマな事柄に思いを馳せすぎて乗り過ごしそうになる。ZEPPに行くときはいつもこんなことに。
本日せっせと変わる観覧車の虹色を見つめ
100sのライブに間に合わない焦りを今じたばたしても何も変わらないと諦め。ボックス席を占領しあたしが考えていたことはあたしのだいじなはーぴーとくぼくぼの結婚式(二人が結婚するわけではなくそれぞれがいつか誰かとの話)でのスピーチは何を話そうかという何故今それなのか頼まれてもいないのに、というわけのわからない、しかし異常に真剣に考え込んだことでした。本人より先に泣かないようにしよう・話したいことはたくさんあるけれど簡潔にまとめよう・服はどうしよう・くぼくぼの場合は女トモダチとしてあまりビッチじゃないほうがいいわね・最初のご両家の皆様本日は誠にみたいなのはオトナだしびしっと言わないとね・はーぴーとのあのエピソードは欠かせないわ・でもあれ言ったら確実に激しく泣くわ(あたしが)など。
えーお二人とも結婚のご予定は今ないはずですが。なんでしょう。意味がわかりません。正子の正夢の予知かしらね!!!あたしちょっとしたシックスセンス野郎だからね!!!
そんな思考の隙間にトリップさせてしまうお台場の夜景。こわいわぁ。(京女)(しつこい)
100sのライブは遅れてしまったけれど前にも増してみんなが仲がよくて全員がほんとうに楽しそうで細胞燃え尽きて、というライブを見れてよかった。音楽もすばらしいけどその様子に目を奪われ。初期衝動がまだ確実にそこにあるメンバーの姿にまた何度かトリップ。今日はトリッバー。昼間はラッパープレイをして遊んでいました。スチャダラパーの。(深くねえのにふけーふけー)
どうしてひとはうたを作り歌ったり小説や詩を書いたり絵を描いたり舞台をやったり写真を撮ったり映画を撮ったりするのかなんていうことは考え始めたらどこまでもいってしまう話だけれど。やっぱりひとはひとにわかってもらいたくて何かアタマの中にぐちゃっとあるものをいろんな形で伝えたくてそれを同じように感じるひとびととつながる奇跡を見たくてそれで自分の地球上の場所を確認したいのではと思います。そのために歌ったり書いたり撮ったり。自分じゃない誰かの人生と混ざって濃くして太くして生きていることを認めたいのだと思います。にんげんは狩りをして子供を作って育てて死ぬだけにしては異常に長く生きすぎる動物になってしまったから(たぶん) 。
あした秋の写真やたらめったらいっぱい撮りたいきもちだわ。100sありがとーーー。