ああ旅にでたい。
今日水道橋の場外馬券売り場を横目に見ながら強すぎる風にびゅうびゅう吹かれてよろけた後、体勢を整え歩き出そうとしたときに、ふと、口をついて出ました。ああ旅に出たい。
「旅に出る」という表現は「旅行に行く」というものに比べると、よりロマンティックでセンチメンタルでドラマティックで「どうか探さないでね」(走り書き)という雰囲気に満ちています。満ちていませんか?たとえ辿るルートやその行程での活動内容が同じだとしても旅と旅行ではずいぶんとニュアンスが違います。うっかりするとうっとりしすぎて「思う」を「想う」、「会う」を「逢う」と書いてしまうようなあたしが最も受け付けないタイプの陶酔型ロマンティシズムにリンクするような気がします。ああおそろしい。あまりスキではないのです。
たとえその活動内容が立派に胸を張って「旅」に値するものであっても(旅がえらくて旅行がださいということでもないのですが)シャイな(これについても異論反論あるでしょうが、シャイなのです)あたしは「○○に行ってくる」という表現を好みます。これはこれで無意味に過剰な反応です。だいたいあたしはひとが気にしない小さな言い回しなどにこだわりすぎることがあります。それでいて平気でとんちんかんなことを言っていたりもします。迷惑千万です。
えーっと。ちかごろ「旅に出る」という言葉をどこかで見ない日はないというくらい日本では旅が蔓延しているなぁと想っていた、あ、まちがえた思っていた矢先に思わず発した言葉だったのでただただ驚いてしまいこんなに長く書いてしまいました。長すぎです。
しかしそれが旅だろうが旅行だろうがお出かけだろうがもうなんでもいいのです。大事なのはここ数ヶ月あたしの頭の中でぼんやりと散らばっていた欲望のかけらが今日の強風により瞬時にかき集められひとつの形をとったということであり、それは
ああ旅に出たい
だったのでした。とはいってもこれは何かから逃げたいとかそういう逃避型のああ旅に出たいではありません。逃げたいというよりは離れてそこからもう一度見てみたい。というきもちなのです。そのためにただただただ無性にエトランゼ、そうつまり異邦人(カミュさま!)になりたい!と思ったのです。自分とはなんの関わりもないものだけに囲まれてここの何にも属していないという、あのたったひとりでまるはだかのかんじ。東京にいることで無意識のうちにぐるりと積み重なったえらそうななにかを遠くから見てみたいのです。シンプルなものしかいらないのにいつのまにか大量にあるいろいろ。エゴとかそういう黒いものも含め。そこから離れてじぶんの立っている場所を眺めて、そして見たことのないものに囲まれてただただ目を大きく開きたい。びかっと。
今思えばそういうふうにずっと思っていたのだけど忙しすぎてインテル入ってないあたしの頭はそれを言語化するのに数ヶ月もかかってしまった。ということでした。遅すぎです。実に遅すぎです。バージョンアップ希望。
寒くなくて食べるものが高くなくておいしくてカメラをぶらさげてひとりで歩いていても危なくなくてひとびとは目があったらそらさずにっこりとしてくれてできれば街の中に川が流れているようなそんな場所、誰かオススメがあったら教えてください。4月に行こうと思います。
探さないでね。と走り書きつつ。