先週の平日は仙人ウィーク、つまり毎日2時間くらいしか睡眠をとっていなくて食事も忘れてとびとびでとっているような日々だったので、日曜は数時間ともだちに会う以外はただただ泥みたいにぺっちゃりとしていました。こういうこと書くとなんだかハードボイルドな生活のようですが、そういうのともちょっとちがって、ポジティブな霞(かすみ)を食べすぎてどうにもとまらなく高く飛んでしまい結果アグレッシブな仙人的ライフスタイルになっていた、という印象です。で、ふと気づくとカラダは完全に限界を超えていてぱたりとたおれこむ、そんなかんじ。ヨガでだいすきな肩立ちのポーズばかり、しつこくやっているせいかもしれない。めぐりがよすぎてあぶない。いけないいけない。健康なはずが、逆に。
仙人な日々ではきづくと坂本美雨ちゃんのアルバムを聞いてばかりいる。聞くたびにそのあまりに美しい、美雨ちゃんにしか作れない世界にじわじわと感動してしてしまう。金曜はキャンドルジュンくんの祈りに涙ぐみ、ハナレグミのタカシくんのものすごく純度の高い幸せの表現につい泣いてしまう。彼はそこにものすごく幸せな自分がいて、それごと伝えるということの意味と使命(たぶん)をきちんと知っている。天才だと思う。土曜にはたまたまみつけた野見山暁治さんというひとの「セルフィッシュ」という絵本に衝撃を受ける。投げやりなようにも、激しくも読める刹那な言葉と絵。モノクロの絵なのに赤く赤く見える。激しい赤。
じぶんの信じる世界をひとつのお皿にただただ美しく、またはみにくさの形をとった美しさで、盛りつけた料理みたいに世の中に出すということがどれだけ勇気のいることか。きっとひとのすばらしさを見ぬく能力がふんだんにある人も自分のすばらしさを見つけるのは苦手だったりする。どんなお皿で何をのせて、そもそもお皿である必要があるのか、美しさとは何か、それは何をどれだけの量選ぶことなのか、そんなふうにひとつひとつを外から冷たく見つめる目と熱く燃え続ける心の両方でよりわけられるか、そこがほんとうの表現者、アーティストでありつづけられるかどうかのわかれめだと思う。そういうことを続けているひとびとを、あたしは改めてすごく尊敬する。そこで苦しむ勇気をふくめて。大剛がんばろうね! あたしたちならできるわ。
あたまがきらきらに冴えてる今だから、そういうことを後回しにしないでやる時だなって思った。
ピンクの霞に満ち満ちた夜に。