ああ、話がはやい。
ひさしぶりに会った、考えてみたらまだ4回しか会ったことがないトモダチと語り倒した帰りについ、口にでてしまった。あるひとつの言葉、たとえば、しあわせ、とか、そういう定義の果てしなく広い言葉について語るときに、彼女とはよぶんな説明なしにすぐに真ん中にたどり着ける。
まったく同じ価値観を共有しているわけではもちろんないけれど、きっと二人の持つモノサシの目盛りが同じようなピッチなんだと思う。モノサシの素材やデザインもは違っても。あたしの目盛りはこんな幅で刻まれてるから、そんな説明をわざわざしなくても、そんなの見てわかる、必要ない。そんなかんじ。言葉が通じない外国で出会ったひとともこういう経験は何度もある。
具体的にどこで判断してるんだろう。話がはやいひととの会話であたしが心地よく思うのは、いいと思うものが似ている、ということではなかったりする。それはわかりやすく最初から見えていることが多いから。それよりも、はずかしいと思う部分が似ているときに、あ、ここにもいた、って思う。
それは具体的に挙げるのはむずかしいのだけれど。自分の飾り方、または飾らなさの調節。たとえば話すときの言葉の選び方、自慢に聞こえてしまうかもしれないことを慎重に話すときのトーン。権威との距離のとり方とか、気をつかっていることを気づかれないようにそっと気遣う、そのカジュアルさ。
そういうところに、にじみ出ていると思う。
目盛りの、幅が。
そんな時思う。この人はあたしとはずかしい、かっこわるい、と思うところが一緒だ。この人の判断は信じられる。そう思うとうれしくて目をみつめて手をしっかりと握りたくなる。老若男女国籍問わず。
そして握っちゃう。しっかりと離さないように。
そんな出会いが人生にあといくつあるかわからないから。
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GANGA ZUMBAの新曲『足跡のない道』(そう、あの本と同じタイトルです)のPVにもブラジル写真がたくさん登場しています。みてみてください。